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これまでに足を運んだ公演の記録・感想


 東京の演劇シーンにおける客層が、10代後半〜30代前半までの若い人たちを中心としているなかにおいて、別役の芝居に来る観客については、年輩の人が多い点が特徴的だと思います。例えばベレー帽を被った上品な老夫婦、なんて方々もよく見かけますね。それからインテリで文化程度も高そうで、「でもネ、60年代にはヘルメットをかぶってゲバ棒をかついでいたんだよ」という雰囲気を滲ませた方々も目立ちます。

 これはおそらく、別役の表現する世界が、彼らの世代における感性と特によく合うからなのでしょう。それと彼の戯曲における、激しい感情や狂気を淡々とした会話や動作で表現するという、能の世界のような技法は(って、能はまだ観たことがないのだけど、、)、最近の演劇を見慣れた我々の世代には、やはり少々敷居が高いかもしれません。でも、個人的には、もっと若い世代のお客さんにも、見に来て欲しいと思っています。


●「トイレはこちら」

劇団:千葉県立佐倉高等学校 演劇部
演出:入江美保子
上演日時:1988年2月20日
 通っていた高校の演劇部の定期公演。演出にはこれといった特徴はありませんでしたが、私にとっては、芝居という媒体だけに表現しうる世界があることを教えてくれた貴重な公演で、田舎の高校の平坦な日常の中で出くわした事件でもありました。ところで、この公演で「女」を演じていた同級生の女の子は、推薦で大学に行くようなまじめで、かつなかなかの美少女で、それがピッタリと役(少々キ○ガイの入った女)にはまっていたというギャップも、演劇の世界に興味を覚えたきっかけとなりました。やはり配役は大事ですね。

●「窓を開ければ港が見える」

劇団:演劇企画集団66
演出:古林逸朗
上演劇場:渋谷ジャンジャン
上演日時:1990年11月9〜11日

●「カンガルー」

劇団:愛は三月カギリ
演出:三村武史
上演劇場:駒場小劇場
上演日時:1991年3月8〜10日
 「カンガルー」は、別役の初めての戯曲集「マッチ売りの少女/象」(三一書房)の3番目に収録されている、彼の最初期の作品です。別役は、そのデビュー当時から、今とほとんど変わらない戯曲のスタイルを確立していたとされています。しかし、この頃の彼の作品には、いわゆる前衛演劇に対する過剰な意気込みや、社会の具体的な事象に対する抽象などにあふれていて、まだまだ青臭いです。一言でいうならば、「まわりくどい説教」といった所でしょうか?そのようなわけで彼のこの時期の作品は嫌いなのですが、でもこの舞台については、結構楽しめちゃいました。その理由は演出にあります。別役の戯曲というものは暗ーく淡々と演出するのが常なのですが、この舞台では、元気いっぱいでスピード感の溢れる演出を行っていて、それが戯曲の世界とよく合っていたのです。「こんな解釈があったのか」とビックリしてしまいました。面白くない戯曲でも、演出によっては、舞台で面白くなるんですねぇ。たとえ公演の題目に興味を覚えなくても、偏見を持たずに観に行くと、良いことがあるかもしれません。

●「マザー・マザー・マザー」

劇団:演劇企画集団66
演出:古林逸朗
上演劇場:渋谷ジャンジャン
上演日時:1991年10月25〜29日

−−−−〈戯曲集より引用〉−−−−

突然、男1の背後の舞台裏に目をやって女2が、凄ましい悲鳴を上げる。袖から、《パパとその街》の十字の旗が現れ、次いで、二人の信者が、粗末な木を組み合わせて作ったやぐらを持って現れる。そのはりに、ぬいぐるみの人形が、首をくくられてぶら下がっているのである。‥

−−−−−〈ここまで〉−−−−−

 古林らしく、あからさまな感情表現を抑えた、更に言えば記号的な演出でした。この場面の女2の叫びにしても、役者は表情1つ変えずに、単に「あーーー」と、発声練習のような長く乾いた声をあげたにすぎません。しかし、その「乾いた」演出こそが、深い戦慄と不安を覚えさせるのです。

●「とうめいなすいさいが」

劇団:演劇企画集団66
演出:古林逸朗
上演劇場:青山円形劇場
上演日時:1992年6月4〜8日

●「帽子屋さんのお茶の会」

劇団:演劇企画集団66
演出:古林逸朗
上演劇場:渋谷ジャンジャン
上演日時:1992年12月9〜13日

●「消えなさい・ローラ」

劇団:カタツムリの会
演出:村井志摩子
上演劇場:渋谷ジャンジャン
上演日時:1993年6月15〜19日

●「ハイキング」

劇団:演劇企画集団66
演出:古林逸朗
上演劇場:渋谷ジャンジャン
上演日時:1994年7月13〜17日

●「にしむくさむらい」

劇団:演劇企画集団66
演出:古林逸朗
上演劇場:渋谷ジャンジャン
上演日時:1996年12月4〜8日
 上京の機会を利用して、久しぶりに見た古林の演出は、もう最高でした。思わずファンレターを書いてしまいました。話の筋は「二組の夫婦が公園で知り合い、その公園に住み着いている浮浪者を殺すための罠をしかける」といった訳の分からない内容。そもそもタイトルが何故「にしむくさむらい」なのか、僕は未だに理解できません。でも、いいんです。訳が分からないのが、別役の世界なんだから。

 舞台の最後の場面では、横になった浮浪者の上に、大きな石が光りながらスローモーションで落ちてきて暗転となります。僕は、その光る石を観ながら、全身の鳥肌が立つような激しい戦慄を感じました。それは、長いこと経験していなかった種類の貴重な感覚で、芝居でなくては、そのような経験をすることは多分難しいのではないかと思います。ただ許せなかったのは、その場面を観て笑った若い客が1名いたことです。舞台における至福の経験とは、演じ側と観る側の感性がピタリと合ったときに得られるものだけに、この人の笑い声は、それをぶち壊してくれました。もっとも彼のその笑顔も、周囲の観客の凄まじい殺気を感じて、すぐに真っ青に変わってしまいましたが、、。

彼が再び別役の舞台に足を運ぶようなことは、無かっただろうなぁ。
、、それでいいのである。




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