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最終更新日 2010年04月25日

年譜(住居歴)

こんなことを公開する必然性も無いのですが、僕は比較的おもしろい住居を移り住んできましたので、ちょっと書いてみたくなりました。

東大駒場寮(’90.4 → '93.3 )

住所   :東京都目黒区駒場3-8-1
間取り等 :鉄筋コンクリート3階建て、築70年位、24畳の部屋に3人
家賃等  :寮費・経常費(水光熱費に相当)あわせて月5000円位だったと記憶しています

関東大震災の教訓を生かし、当時の膨大な国家予算と最新技術を投入して建設された、非常に豊かな建物。 さすがに古い建物なので内装などは一部痛んでいましたが、戦艦建造用の鉄骨と高品質の川砂で組んだ建物本体は、老朽化の気配すら感じさせませんでした。 まだ私が在住している頃に明らかにされた廃寮の計画は、寮生などの反対で現在まで膠着状態にあり、寮風呂等の付属施設の一部と明寮を撤去したにとどまっているようです。 学部と寮委員会との裁判の決着が気になるところです。

[補注; 01 Sep 2001]
2001年8月22日、ついに強制執行されてしまいました。 駒場キャンパスも、デオドラントされた味気ない場所になってしまい、哀しいです。

[外部リンク集; 在りし日の駒場寮]    

富士村荘( '93.4→ '95.3 )

住所   :東京都文京区本駒込2-27-17
間取り等 :木造モルタル2階建て、築50年位、4畳半+半畳の台所、トイレ共同
[写真(計約100KB)]
家賃等  :家賃 月24000円、管理費 月1000円、敷金 1ヶ月分の家賃、 礼金なし

高い高いと言われた東京の部屋代ですが、周りに営団地下鉄の駅がないようなエリアですと、まだまだこのように古くて安い部屋もありました。 このような物件は不動産屋ではなかなか扱っておらず、住人の大部分は口コミによって集まっていたようです。 ここは共同廊下の両側に鈴なりに部屋が並び、1・2階合計で13部屋という構造になっていて、中国人留学生4人、日本人学生3人、おばあさん3人、大家さん1人の計11人が生活をしていました。

古い建物でしたし、何かと不都合もあったのですが、一番困ったのが電源事情でした。 これだけ人がいながら、建物全体の電気容量は、なんと30Aポッキリ!各住人の生活の時間帯が、それぞれシフトしていたので(おばあさん→日本人学生→中国人留学生の順に、メインの活動時間帯が遅くなっていた)、なんとかパンクしないで済んでいたものの、冬などは1日に3回ブレーカーが落ちたりしたこともありました。 そんなわけで、コンピューターで作業している時などは、常に緊張状態を強いられたものです。 でも緊張してもブレーカーは落ちるので、半泣きしたり、ブチ切れそうになったりと、デスクワーク中も激しい感情の起伏を味わうことができました。

ここは東京の集合住宅にしては珍しく、住人の間の交流が盛んで、私も同じフロアの留学生の方から、持ち寄りパーティに誘っていただいたりしました。 また、隣に住んでいたおばあさんからも「堅くなっちゃったので、あたちは歯が立たないけど、あんたなら若いから食べられるでしょう」などと言って、賞味期限が2週間しかないのに期限終了後半年以上も経過した焼き豚を頂いたり、ゴキブリの子が確認されただけで3匹以上沈殿しているミソ汁の鍋を頂いたりしたものです。

九大松原寮[外部リンク]('95.3 → '95.12 )

住所   :福岡県福岡市東区筥松4-22-14
間取り等 :鉄筋コンクリート3階建て、築30年位?6畳の部屋に2名
家賃等  :寮費・経常費(水光熱費に相当)あわせて月5000円位だったと記憶しています

九州大学大学院への進学が決まり、電話連絡のみで入居の手続きを行った学生寮。 実際に入居してみたら、6畳に2人というのは思った以上に狭く、加えて電話の便が劣悪だったり(現在は改善されたようです)、2日に1度沸く風呂もすぐにお湯が無くなったりと、ほとんどオウムの出家僧のような寮生活でした。 更に、寮のすぐ隣に福岡でも5本の指に入ると言われた不良中学校があり、私が進学してくる半年前には、中学生による寮生への殺人未遂事件まであったそうです。 もう二度と、このような極悪な環境には住みたくないものです。

基礎生物学研究所O教授の実家('96.1 → '01.3)

住所   :福岡県福岡市東区香椎4-9-47
間取り等 :木造平屋建て、庭・車庫・家庭菜園付き 
[写真(計約200KB)]
家賃等  :[超格安]

東大で助教授をされていたO先生から「実家の建物が空き家になっているので、誰か住みませんか?留守番がわりなので、家賃は格安でいいです。」と矢原研に連絡があり、その当時松原寮に在住していた私は、すぐにその話に飛びつきました。 見に行ってみると、古い平屋であるものの、広い台所・部屋・庭と車庫と畑付きという夢のような物件でした。ちなみに、敷地面積は230坪。 一般的な建売住宅の4〜5軒分といったところでしょうか。 同じ研究室の先輩と、別々の部屋で同居することになり、以来、快適な生活を満喫する毎日でした。('98年11月より独りで住んでいました)

唯一の難点だったのが、庭の管理が非常に大変であるということです。 春先には楠が毎日大量の落ち葉を道路に散らし、夏にかけては雑草が至るところで大発生し、秋には熟れた柿が道路を汚し、ふと空を見ると成長した木の枝が電線を押し上げているという具合で、オールシーズン手の休まる暇がないのです。 とりあえずご近所へ迷惑がかからないように、道路際の樹木の剪定や道路の掃き掃除、人目につく場所の草むしりなどを優先させているので、庭の内部はもうジャングルのような状態になってしまいました。 更に、'98年の夏にはマムシの生息が確認され、庭内部に足を踏み入れないようにしてた為、なんだか現状すらよくわからなくなってしまいました。

[補注; 01 Sep 2001]
2001年春、取り壊されました。しばらく心に穴が空いたような気分でした。

ワンルームマンション('01.4 → '02.11)

住所   :福岡県福岡市東区香住ヶ丘2-20-2
間取り等 :居室約7畳、台所約3畳、風呂・トイレ独立 
[写真(計約50KB)]
家賃等  :月4万2千円、管理費2千円、駐車場5千円

実家を出て10年目にして、初めて普通の部屋に引っ越しました。 いまいち面白みはないものの、まあ生活は楽になりました。 場所は、九大箱崎キャンパスから車で20分。 九州産業大学という私大の近所で、いちおう学生街ではあったのですが、安い飲み屋やレンタルビデオ屋ばかりで、今ひとつ文化の香りは感じませんでした。

ちなみに、この大学の芸術学部は結構有名です。 新劇の演出家として活躍している松尾スズキ[外部リンク]も、ここの卒業生。 それで話は飛ぶのですが、この松尾スズキが監修した芝居「大丈夫!僕ホモだから」(1999年3月 於 中野ザ・ポケット)は、ローソンでチケット買うときに、すごくすごく恥ずかしかったです。 あまり変な名前を公演タイトルにつけないで貰いたいものです。 [福岡の総括]

単身用借り上げ宿舎('02.12 → '07.10)

住所   :神奈川県金沢区富岡東3-2-28ホーマットスミ鳥見塚203号室
間取り等 :2DK、2階建てアパートの2階、風呂・トイレ独立 
[写真(計約130KB)]
家賃等  :月7万3千円

職場の「借り上げ宿舎」というのを利用させて頂き、月1万円程度の負担で住んでいました。 この制度は、家賃月7万円まで(単身者の場合)の住居を、本人に代わって会社が借りて、職員に格安で又貸しするという制度。 ただ、一度入居すると引っ越すことが基本的に出来ないので、まる2日かけて物件探しをしました。 不動産屋を3件巡って10の部屋を見て歩いただけに、閑静な住宅街の中にありながら、職場からママチャリで5分、窓からの景色も悪くはないという、なかなかの部屋が見つかりました。 ただ、駅から遠く、また夏は西日が当たって暑さが半端ではありませんでした。

家族用借り上げ宿舎('07.10 → '09.12)

住所   :横浜市磯子区杉田坪呑4街区3号棟402号室
間取り等 :3LDK(面積78u+バルコニー10u)
家賃等  :月10万8千円

結婚して一年以上は嫁の仕事の関係で別居してましたので、その間、上の単身用アパートに住み続けていましたが、いよいよ同居することになって広い物件に転居しました。 初めて住んだ分譲型マンション、しかも平成2年築のバブル物件(当時5000万円だか6000万円だかで売り出していたらしい)で、いろいろ細かいところに金や気を遣った良い部屋でした。 職場からも至近で、おおむね文句なしの快適な物件でした。 前の職場でずっと勤務し続けるようなことであったなら、頑張って買っていたかもしれません。

大学教職員官舎('10.01 → '14.03)

住所   :愛知県名古屋市
間取り等 :四畳半×3部屋、台所と廊下はスペース共通(面積44u)
家賃等  :月約1万円(駐車場込み)

昭和43年築。 当然あちこちガタがきており、前の物件と比べ相当狭く、またコンセントの数が圧倒的に少なかったり、と一気にランクダウン。 でも住環境は最強で、地下鉄の駅から徒歩7分、それでいて周辺は閑静な文教地区&高級住宅街、徒歩圏内にいろいろ面白い店もあり、そして大学までギリギリ徒歩通勤圏内。 なにより家賃がタダみたいなものですし、文句を言ってはバチがあたります。

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