発表 :1985年 朝日新聞社
ジャンル :アニメーション映画
制作 :杉井ギザブロー(監督)、宮沢賢治(原作)、別役実(脚本)、細野晴臣(音楽)
映像化の難しい原作であると思われますが、まずは成功と言って良いでしょう。日本の映画も、なかなか捨てたものではありません。もっとも、この作品の映像化については、日本の文化の元で育った人間にのみ可能だった気もします。米国人とかにやらせたら、リアルなCGを駆使した感動スペクタクルにしかねないですから。勝手にジョパンニとかおる子のキスシーンを挿入したりして。
登場人物を猫の姿で描いたのが、なかなかの工夫だったと思います。そもそも原作では、大部分の登場人物に、ジョバンニとかカンパネルラなど、どこの国の人間か分からない名前を付けているのですから(イタリア臭い気もしますが、彼らの性格は全然イタリア人っぽくないですしね)、具象的な人間の姿を当てはめるのは作品の主旨から外れるでしょう。また「銀河鉄道の夜」は人によって様々な思い入れのある作品なのですが、猫の姿を借りることで、彼らの作品に対するイメージを壊すことも避けられたことと思います。かおる子ら3人のみは人間の姿で描いたのも賢明でした。猫の姿のかおる子が登場したら、それはそれで原作のイメージをぶち壊したでしょうから。やはり、この子はおかっぱの可愛らしい少女でなくてはなりません。
この映画において、別役は脚本を担当したのですが、なるほどよく見ると随所に(そして全体の雰囲気に)彼らしさが見られます。細かなところでは、プリオシン海岸の中州に、ベンチと街灯がそれぞれ1つずつポツンと置いてある場面などがそうです。そして驚嘆すべきは、それらが決して原作のイメージを壊すことなく、むしろその映像化において不可欠であるかのような印象すら受ける点でしょう。
原作と脚本の主な違いは、後者では「銀河の旅」がジョバンニの夢の旅であることを、場面場面で強調している点だと思います。例えば、「白鳥の停車場」から「プリオシン海岸」へ至る道の情景について、原作では何も触れられてないのですが、映画ではジョバンニの住む街の情景として描かれています。そして、走る汽車を外から幼い頃のジョバンニが眺めていたり、また「銀河の旅」で登場する人物が、学校の先生、パン屋ですれ違った老人、牛乳屋のおばあさんなど、ジョバンニの街の住人である点も見逃すことが出来ません。ちなみに、この同じ登場人物が、別人の役で再度出てくるところなどは、別役が戯曲でたまに使う手法で、彼のファンとしては思わず「やりやがったな」と思ってしまう場面なのです。
実は原作においても、ブルカニロ博士のセリフに明確に現れているように「銀河の旅」をジョバンニの夢として扱っているのです。原作より引用:「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければならない」。しかし原作では、天気輪の柱から銀河鉄道に乗るまでの原稿が5枚分失われており、「銀河の旅」とはいったい何なのかが、やや分かりにくくなってしまっているのです。ブルカニロ博士の正体についても全く不明です。別役はこの脚本を通じて、宮沢賢治の未完の作品を、原作を極力尊重した形で完結させたと言えるかもしれません。
ところで、この透明で少しもの悲しい世界の創出には、挿入曲も大きな貢献を果たしたと思います。音楽を担当した細野晴臣氏は、彼のおじいさんが日本人として唯一タイタニック号に乗船していた人であり、非常に因縁のある作品に関わったと思います。
映画版「銀河鉄道の夜」は、レンタルビデオ屋から流れてきたビデオカセットが、現在中古ビデオ屋などで簡単に見つかります。ただ、今後は徐々に入手が困難になることが予想されるので、見つけたら即ゲットしましょう。標準的なお店で、2〜3000円というところでしょうか。