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最終更新日 2018年7月27日
学生時代が長かったので半分はバイトの履歴です。他にも単発の仕事などイロイロやってきましたが、感慨深かったり期間が長かった仕事、そして公表しても差し支えのない仕事のみを書き出してみました。
期間: 高校生の時
職種: パンづくりの手伝い
場所: 千葉市臨海部の工場地帯
時給: 650円と記憶しています
くそ重たい砂糖袋を延々と積み上げたり、ベルトコンベアーで続々と運ばれてくる串団子をトレイに詰めたりの肉体労働が主でした。私の通っていた田舎の高校では、バイトというのが一般的ではなく、私も高校時代のバイト体験はこれが唯一です。
こちらの工場は、私の実家から自転車で45分ほどの工業地帯にあり、給料も働いた日から1週間後に直接取りに行かなければならないという、かなり働きにくい環境でした(電話一本で好きなときに仕事が入れられたのですが)。往復1時間半かけて工場まで行き、5時間さんざんこき使われて、1週間後に往復1時間半かけて3千円ちょっとの給料を頂いたときには、「お金をもらうというのは、こんな大変なことなのかぁ!」と頭がクラクラしたものです。
期間: 大学1年生(1回目)の半年間、不定期
職種: 模試の採点
場所: 東京都墨田区錦糸町
時給: 1200円
高3の時に1年間通っていた、千葉市内の進学予備校です。大学に入学後しばらくして、「採点のバイトをやらないか?」と連絡があり、ありがたく勤めさせていただきました。模試(生物と化学)の文章問題の採点が主な仕事で、1つの部屋にたくさんのバイトが集まって、和気藹々と相談しながら仕事を進めました。
基本的には気に入っていた職場だったのですが、なぜか急に仕事依頼の電話が来なくなってしまいました。私はかなり厳しく点を付けていて、それを他の採点者にも「そんなの絶対バツですよっ!部分点もあげちゃだめですよっ!」と強要していたことがクビの原因ではなかったかと、しみじみ反省したものです。人間環境を円滑に進めるためには、つまらない拘りを押し通そうとしてはいけないとの教訓を得た18歳の春でした。
期間: 大学1年生の春〜夏、大学3年生の夏
職種: 小学校5・6年生の理科・算数の先生
場所: 東京都中央区八丁堀
時給: 3750円(授業時間)、1000円(教務作業時間)
私は中学受験をしていないので詳しくないのですが、中学受験をここざす小しゃくれた小学生の間では結構有名な学習塾らしいです。授業時間の時給だけ見ると、効率よく稼げる仕事のように見えますが、予習時間が授業時間の約1.5倍かかったり、教務作業がたくさんあったりで、それほどでもありませんでした。
期間: 大学1年生(1回目)の秋〜大学2年生の冬、計2年半
職種: 端末のオペレーター
場所: 東京都千代田区永田町
時給: 2000円
大学のサークルの先輩から紹介してもらったお仕事。留年中などは日本育英会に代わって、よく生活を支えて頂きました。この情報センターの入っていた全国町村会館は、自民党本部の真裏(便所の窓から石を投げれば当たる距離)に位置し、大音量の軍歌を流した右翼の宣伝カーが、毎日ひっきりなしに通り過ぎてゆく好環境でした。
情報センターでの私の仕事は、全国の地方自治体から送ってもらった、特産品やイベント、観光スポットなどのカルトな情報を、「ふるさと情報データベース」へ追加または書き換えするといったものでした。現在、このデータベースには、インターネットからのアクセス可能が可能になっています(無料)。情報は質・量ともにかなり充実しておりますので、マニアックな観光や物産品に興味のある方には一押しの情報源です。
期間: 大学4年生の秋〜冬(不定期)
職種: 事務手伝い、端末操作、情報処理
場所: 東京都江東区門前仲町
時給: 1000円
この職場では、偏差値の高い大学にありがちな「事務処理・記憶・解析等の能力は優れているものの、人格とか対人インターフェースが崩壊している」タイプの人は見当たらず、さすがに一流企業の人事はしっかりしているんだなぁと感心しました。時給はそこそこだったものの、OLのお姉様もみなさん綺麗で楽しくお仕事をさせていただきました。
期間: 大学院修士課程1年〜2年(2年間)
職種: 中学生の理科と数学の先生
場所: 福岡市東区名島
時給: 2000円
修士課程では奨学金がもらえなかった為、生活費を稼ぐために2年間続けました。通常は週2日だけ授業が入っていたのですが、春・夏・冬休みに講習会があり、この期間にはほとんど毎日授業が入ったのが辛かったです。特に、夏期講習と研究のフィールドワークとの日程の都合をつけるのが、とても大変でした。
期間: 大学院博士課程1年〜3年
職種: 特別研究員(DC1)
給料: 月額、約20万円。賞与・各種保険なし。
博士課程の大学院生の一部にも、生活費と科学研究費(科研費)をあげちゃいましょう、という太っ腹な機関。少々ややこしいのですが、特別研究員は日本学術振興会と雇用関係を結んでいるわけではありません。したがって、採用されたからといっても特別な義務が生じるわけでもなく、年に何度かある書類の作成さえさぼらなければクビにならないのです。
こちらに採用していただいてからは、科研費でフィールドワークのお手伝いをたくさん雇ったり、研究に必要な物品を自分の裁量で購入できたりと、かなり仕事が進めやすくなりました。また、経済的にも実家から独立することができ、授業料免除の対象にもなるので、まさに至れり尽くせり。何よりありがたかったのが、自分の時間がアルバイトから自由になるという点でした。フィールドワーカーというのは、たいてい調査期間中は現場に張り付きっぱなしになる季節労働者でして、この間のアルバイトの日程との調整が一般に悩みの種なのです。
期間: 2000年4月〜2001年3月
職種: 生物の非常勤教員
給料: 1コマ(50分)3200円
公募に玉砕し、研究生としての生活を維持けるために始めました。男子校ということで、結構授業はやりにくかった、、。それでも、女子校で講義をした経験のある人に言わせれば、女子校に比べれば相当マシな状況とのこと。やはり思春期の集団を相手にするのならば、異性間で牽制しあう状況がないと、なかなかシンドイです。
期間: 2000年5月〜2002年3月
職種: 非常勤研究員
給料: 週20時間勤務、月額約33万円。賞与・各種保険なし。
プロジェクトで雇用されていたにも関わらず、自由に仕事をさせていただきました。さすがにプロジェクトに無関係な野外調査のために、予算を出して頂く事は事務的にできなかったので、デスクワークで仕事が完結する理論生態学に足を踏み入れました。
期間: 2002年12月〜2007年3月
職種: 任期付き研究員
給料: 年俸制年額534万円。賞与・退職金なし。各種保険、諸手当、借り上げ宿舎制度あり
給料だけみると大した待遇には思えませんが、借り上げ宿舎制度(独身7万、妻帯者12万まで)があったり、共済会などの制度が充実していたりと、ポスドクとしては相当な好待遇でした。
期間: 2007年4月〜2009年12月
職種: プロジェクト予算による特任研究員
給料: 年俸制年額約600万円。賞与・退職金なし。各種保険、諸手当、借り上げ宿舎制度あり
一つ前の「地球環境フロンティア研究センター」と同じ職場、実質的に同じポストでしたが、このあたりから予算管理や報告書の取りまとめ等の管理職的な仕事が急増しました。でも、そもそも管理職的な仕事をする事になっているポストではないので、そういう努力は勤務評価の対象にならなかったし(その代わりに、かなりの額の予算を自由に動かさせてもらいましたが)、30代までに大学教員としての職歴を積んでおいた方が良いかなと考えたのもあり、任期満了以前でしたが転職しました。通すべき筋は通して、円満退社したつもりです。
期間: 2010年1月〜2014年3月
職種: プロジェクト予算による特任准教授
給料: 年俸制年額約750万円。賞与・退職金なし。各種保険、諸手当、宿舎制度あり
グローバルCOEプロジェクト「地球学から基礎・臨床環境学への展開」[外部リンク]により雇用されました。仕事に教育業務が加わりました。
結構な待遇で雇って頂き研究予算までつけて頂いて、私は甘い汁を吸わせていただいた立場でした。そして、そのような待遇に見合うだけの貢献を、私はプロジェクトにもたらすことができませんでした。しかし、そもそも現実や実情を無視した問題の多いプロジェクトでもあった、というのが私の総括です。いわゆる学際がなぜ難しいのか、肌感覚として理解できました。
スジの悪い仕事を、現場努力で何とかしようと試行錯誤した結果(良くも悪くも私はクソ真面目な人間です)、多くの摩擦を引き起こしてしまいました。「スジの悪い案件は、甘い汁だけ吸ってノラリクラリとやり過ごすのが、自分にとっても周囲の人々にとっても最適解である」と気がついたことで、「佐藤先生も最近は丸くなった」と評判を回復することができました。補助金事業が、尽く失敗する理由が良く分かりました。