今日も朝からビーチ三昧。 ちょっと天気は悪いものの、至福の休暇である。 お昼過ぎ、レーザーポインターでニワトリを脅して遊んでいると、お菓子売りの女の子がやってきた。 たしかコンポンソムの初日に、パイナップルを買った子だ。 もし僕が素潜りでもしていたら、往復約600mも無駄足を運ぶことになるのに、まったくインドシナの女性は働き者である(男は働かないけど)。 その根性に免じて、ナッツを飴で固めた菓子を一袋買う。 しばらくすると別の女の子がやって来た。 たしかコンポンソムの初日に、お菓子を買わずに、さんざんむくれさせてやった子だ。 机の上に置いた例の菓子を一瞥すると「なんで、あの子からばかりモノを買うの!」とギャーギャー騒ぎだし、しまいには泣き真似を始めたりと大騒ぎをしやがった。 「わかった、わかったよ! じゃあ買ってやるから、ポテトチップスを一袋持ってこい」と言うと、ケロッと泣き真似をやめてお菓子を取りに走る。 わかりやすい性格である。 この子は一応会話が成立するレベルで英語が話せたので、どこで勉強したのかと聞いてみると、3年間ビーチで働いているうちに自然と話せるようになったとのことだった。 なんでもカンボジアでは学校に行くのに1週間につき3ドルを納めなければならないそうで、1年くらいしか学校に通えなかったとのことである。 それで家計を助けるために、ここで売り子をしているわけか。 偉いなぁ。 というわけで、色々お話をしたり、お菓子を分け合ったりと、なんだかんだで仲良くなる。 そうこうしているうちに、この子の友達がやって来て、少し離れた場所で服のまま泳ぎ始めた。 とりあえず、商売も小休止ということなのだろう。 周りは他に誰もいない南国の海、小さな波だけが、静かな音を立ながら白い渚に寄せては返す。 波の間から、時折さっきの女の子が手を振り「ミスター」と声をかけてくる。 白い歯を見せながら手を上げ応えるミスター佐藤。 嗚呼、もし僕がロリコンだったなら、きっと良い夏の思い出となったことだろうなぁ。 というわけで、その気のある変態野郎は、小銭を握りしめてソッカービーチへ急げ。 |
帰国の日も迫ってきたし、バンコクで買い物をする時間も取りたかったので、本日いよいよタイに戻ることにする。 これだけ慌ただしいと、なかなかビーチリゾートという気分になれないですね。 ヨーロッパ人みたいに何週間も滞在することもないとは思うけど、せめて5日くらいはのんびりしたいものです。 当初は、プノンペン発バンコク行の飛行機を利用する予定だったのだが、ポイペトのラオ公から得た情報によると、ココン経由ルートなるものがあるらしい。 これは、タイ湾を連絡する高速ボートでコンポンソムから国境の街ココンまで行き、国境通過後はバスにてバンコクに戻るルートとのことである。 いいかげんな奴が情報の出所だったので、ホテルのフロントで確認してみると、確かにそのルートでタイまで行くことができて、特に危険もないという。 来た時と同じ道でプノンペンまで戻るというのもつまらないし、空路を使わないだけに移動の費用も安そうなので、ココン経由にてバンコクへ戻ることにした。 というわけで、また高速ボートである。 本当は朝一番の船で出発して、同日の夕方にバンコクへ到着するつもりだったのだが、ココン行きの船は昼12時発の便が一日一便のみとのことで、どうやら道中で一泊することになりそうな気配。 、、、やっぱり飛行機で帰れば良かったかなぁ。 桟橋まで行くと大きなバックパックを担いだ外国人が2,30人もいた。 どうやらそれなりにメジャーなルートであることが判明して、一安心。 周りが言葉の通じないカンボジア人だけというのは、やはり不安なものです。 尊大な態度の木っ端役人による旅券検査を受けて乗船すると、何故かカンボジア人と外国人を別々の位置にまとめた席順となっている。 ちなみに僕のお隣はフランス人のおじさん二人連れ。 やれやれ。 別に僕は白人を嫌っているわけでは決してないのですが(いつも論文の審査等で大変お世話になっています)、概して彼らは体も荷物も大きいうえに、いささか体臭が強いので、狭い乗り物に乗り合わせるには歓迎しかねる人達であることも確かなのだ。 さらに隣に座られているお二人は、少々肥満されておられて、隣に座っているとモノスゴク暑い! どうも外国人を固めて座らせている理由というのは、この辺りに事情がありそうです。 日本人は、同じアジア人なのだから是非除外してほしいものだ。 揺れる船内にて「狭さ」「暑さ」「匂い」「吐き気」と必死に戦っていると、今度は後ろの席のイタリア人達が騒ぎ始めた! おおぉー、この上さらに騒音とも戦わなければならないのか!! まったくイタリア人の公共マナーの悪さは世界一だ。 あんな連中と同盟を結んでいたというのだから、さすがの我が国も戦争に負けて当然というものである。 、、、、やっぱり飛行機で帰れば良かったかなぁ。 |
まあでも、カンボジアの沿岸部は美しかったです。 人工物は民家ですらも殆ど見あたらず、まず手付かずと言ってもいいでしょう。 今後、道路の整備と地雷の撤去が進めば、最高のビーチが楽しめるようになるかもしれません。 3時間半の船旅をおえ、外国人ご一行様はコッコンの桟橋からモーターボートに分乗して約15分、さらにバイタクで田舎道を10分、やっと国境に到着。 それで、ここは何だか閑散とした国境でした。 カンボジア入国の時にもみくちゃにされた経験があったので、少々身構えていたのですが、乞食と物売りに5、6回声をかけられただけで、拍子抜け。 それでもタイに入国したとたん、プシュ〜と肩から力が抜けるのが分かった。 やっぱり極端に貧乏な国を旅行するというものは、それなりに気を張るもののようです。 |
タイの入国書類を書いていると、日本人の女の子に声をかけられた。 移動の途中、1人日本人っぽいのがいるなぁと思っていたら、やはり日本人でした。 結構可愛い感じの女の子なのに、カンボジアを一人で旅行してきたとのこと。 こういうタイプの子ほど、結構無茶な旅行をしていたりして油断大敵。 ここでは、あと1人日本人と思われる人がいたのですが、ボートの中では見かけなかったので多分これからカンボジアに入国する方だったのでしょう。 なんというかワイルドな風貌の男性で、石原裕次郎氏と植村直己氏との間にできた隠し子といった感じ。 日本でこのタイプは、茶髪の侵入・伝播に伴って絶滅してしまったようですが、こんなところで生き残っていてくれたことが分かり、少し嬉しい。 |
さて、国境のタイ側にはハットレックという街があると聞いていたのですが、実際には街というよりは単なる集落で、ホテルもなにもありそうもない。 どうしたものかと先ほどの女の子と相談して、とりあえずトラットまで一緒に行くことになった。 わりと景色の良い沿岸部の道路を乗り合いバスで1時間、トラットに到着である。 久しぶりに日本語の会話を楽しんでいたら、あっというまでした。 どうせ翌朝すぐに出発するということで一泊300円也のゲストハウス(民宿)に荷を置くと、夕飯を食べに一緒に街に出た。 現金があまり無かったので、途中、その辺にあったATMからCiti Bankのキャッシュカードでタイバーツを引き出す。 あぁぁぁ、なんて便利なんだっ。 トラベラーズチェックの換金すら難しいカンボジアから戻ると、こんなことですら感動してしまう。 ワイルドな風貌のオカマがきりもみする屋台で(タイって何故オカマが多いんでしょうね?)、牡蠣の沢山入ったパッタイとシンハビールで乾杯。 そのままナイトマーケットでデートしました。 で、翌朝バンコクまで一緒に戻る約束をする。 |
昨日のお姉さんとは、9時半発のモーチットバスターターミナル行きのバスで一緒にバンコクまで戻る予定だったのだけど、この日の朝になって9時半発のバスはエカマイナスターミナル行きであることが判明した。 このエカマイバスターミナルは、バンコク中心部との連絡が悪い場所にあるので、できれば使いたくない。 昨日の晩に宿のおじさんに聞いたときには、朝9時半出発のバスがモーチット行きだと、自信満々で応えていたんだけど、こういうところがタイ人っぽいよな。 まあ悪気が無いことは分かり切っているので、いちいち腹も立ってこないけど。 時計を見ると、今から急いで準備を整えれば、8時半発のモーチット行きに乗れそうだ。 昨日のお姉さんは、まだ起きてくる様子がないのだが、お姉さんを待っていると次の10時半のモーチット行きを利用することになってしまう。 明後日の早朝に日本へ戻るのに、昼の貴重な2時間を失うのは勿体ない。 で、悪いけど先に出発させてもらった。 ちなみに、あのお姉さん、僕とまったく同じルートを僅か5日間ほどの日程で消化したとのこと。 それでアンコールワットを見物した以外は、観光らしい観光もできなくて、プノンペンも素通り、シアヌークビルでもビーチにすら出られなかったそうだ。 だったら素直にバンコク−シェムリアップ間の飛行機を利用すればいいのに、、。 「陸路を行くのが好きなんです」とか言っていたけど、電車の移動とかならともかく、バスや高速ボートの移動じゃ辛いだけだと思うぞ。 安宿に泊まり歩いているとのことだけど、社会人だったらお金があるんだから、もう少しマシな旅行ができるだろうに。 、、、、、、ひょっとしてマゾなのかなぁ? 僕はどちらかというとサドなので、良いお友達になれたかもしれない。 電話番号くらい交換しておくべきだったと、今でも本当に後悔している。 ともあれバンコクには、定刻どうり午後1時半の到着。 行きにも利用したRenoホテルへ荷物を置くと、早速マーブンクロンセンターヘお土産を買い物に出かける。 実は研究室の女性に、僕の不在中の実験用植物への水やりをお願いしているので、なにかお礼の品を用意しようというわけです。 日本での入手が難しかったり高価になったりするもので、かつ女性の喜ぶものということで、「泰国製強力豊胸クリーム」[外部リンク]でもプレゼントしてくれようとも思ったのですが、それってやっぱりセクハラになるんでしょうねぇ。 結局、適当なモノが見つからなかったので、カンボジアで買った木製の小物入れをお土産にすることにしました。 同時に自分への買い物ということで、衣料品・食品・薬類・小物などを物色する。 物価の安いタイで生活必需品を買い込んで、生活費をセーブしようというわけです。 最近では日本の物価もずいぶんと下がったので、昔ほど値うち感は無くなってしまったけど、それでも航空券代の半額くらいは回収できました。 勝利のポイントは、目新しいモノをいろいろ買い込むと結局使わずじまいで損をする傾向があるので、あらかじめ本当に必要な物品をリストアップしておくことですね。 ついでに床屋があったので髪も切っておく。 「カット、ショート」とだけ言って、あとはお任せしたら、本当に思い切り短く切ってから、ヘアクリームをたっぷりと塗ってくれた。 なんだか頭がテカテカ光って、バンコクの不良少年風である。 「よーし、こうなったらバンコクの街を荒らし回ってやるぜぇ!」と、気合いが入ったところで、肩で風を切りながらマーブクロンセンター内を歩き、でも歩きすぎて疲れてきたので、そのまま按摩屋に、、、。 気合いだけが空回りしてバカみたいだったけど、バスでの移動と買い物とで鬱血しまくってた足を丁寧に揉んで頂いて、至福の時間でした。 足を揉んでもらいながら、マッサージのおばさんにタイ語で世間話の真似事なんかを試みてみると、僕の全ボキャブラが100語程度であるタイ語「会話」に根気よく付き合ってくれた。 タイ人というのは、基本的にホスピタビリティの溢れている人達ですねぇ。 福岡みたいな人のガラの悪い街に長く住んでいると、こんな些細なことでも感動してしまいます。 |
朝起きると、いきなり腹が痛い。 ていうか、のたうち回るほど苦しい。 刺激物は何も食べていないし、硬度の高いミネラルウオーターも飲んでいないので、間違いなく細菌性の下痢である。 心当たりは、、、ありすぎてわからない。 なにしろ衛生状態の極端に悪いカンボジアで全然腹を壊さなかったものだから、妙な自信を持って、昨日は生野菜を使った料理なんかも平気で食いまくったからなぁ。 突撃ラッパのマークの征露丸も効き目がなく、とても外に出られそうもない。 買い物天国のバンコクにいて、しかも旅行の最終日だというのに、間抜けすぎる。 で、細菌性の下痢の場合には菌が体外に出るまは薬で止めない方がよいのだけど、最終日を丸々無駄にするのはあまりに悔しかったので下痢止めを買いに行くことにした(手持ちの下痢止めはポイペトで全て飲んでしまっていた)。 タイ語でどうやって症状を伝えるのかって? 大丈夫! こういう事態に備えて、僕はLonely Planet社のsurvival kitシリーズ、「Thai phrasebook(旅行用の簡易英泰辞典)」を持っているのだ。 まさに備えあれば憂いなし。 やっぱ10年のキャリアを持つ旅行者は違うよね。 というわけで、早速"Health - complaints"のページを開いて、下痢の単語を調べることにする。 ・・・・・・ cough、cramps、dengue fever、diabetes ・・・・・・。 、、、、、、、、、。 「下痢って英語で何て言うんだよっ! 畜生!!」 思わず本を壁に叩きつけると、今日はもう諦めてホテルの部屋で過ごすことに決定。 一瞬、ボディランゲージで伝えることも考えたが、公衆の面前で下痢のパントマイムを舞うというのはあまりに屈辱的すぎる。 今日はAuberge Dab(パリに本店のある高級フランス料理店)にランチを食べに行って、そのあとロビンソンデパートで買い物をして、晩ご飯にはタニヤ通りの日本食レストランで寿司を食べる予定だったのだけど、全部パーになってしまった。 それも屋台や安食堂で食べた駄菓子のような料理の為に! それでも気合いで、3時過ぎにマーブンクロンセンターへ買い物に出かけた。 ここならホテルから歩いて5分なので、気分が悪くなっても倒れる前に戻ることができるだろう。 まあ何とか倒れることもなく買い物を済ませ(ほぼ全フロアのトイレを制覇したような気がします)、ホテルに戻ると、残っていた気合いをさらに振り絞って荷物のパッキング。 いやー、きつい一日でした。 |
まだまだお腹の調子は悪いのだけど、今日は帰国の日である。 それで朝の6時半にホテルをチェックアウトして空港までタクシーで向かう。 この時間帯だと下道も高速道路もさすがにガラガラで、タクシーの運転手もマッドマックスみたいにガンガン飛ばしてくれる。 便意も忘れる無謀運転。 きっとあの人達って、マッドマックスみたいにバンバン死んじゃっているんだろうな。 別に事故をおこしてくれても構わないのだけど、僕だけは巻き込まないで欲しいものだ。 飛行機に5時間乗り続けた後、乗り継ぎのため台北空港でいったん降りる。 この乗り継ぎがあるため中華航空のバンコク−福岡便は時間がかかってしまうのだけど、直行便のように7時間近くも飛行機に乗りっぱなしにならないので、今回のように体調が万全でない場合にはむしろ有り難い。 ここで同じ飛行機に乗っていた日本人男性に声をかけられた。 この方もカンボジアを旅行されてきたことが分かり、プノンペンの暗黒情報などを交換して盛り上がる。 何でもプノンペンに1週間滞在されていて、その間に2回ホールドアップに遭ったそうだ。 1週間で2回、、、ですか。 やっぱり、まだまだ危ない街なんだなぁ。 「実はお腹の調子が悪い」と言ったらバンコクで買ったというペニシリンの錠剤をくれた。 おかげで福岡空港に着く頃には、だいぶ体が楽になったような気がする。 地下鉄と電車を乗り継いで、サウナのように熱の籠もった我がワンルームに到着しました。 早朝に出発したのに、自室に着いたのは夜の8時頃。 何だか今日は1日損した気分です。
[後日談]なかなかお腹の調子が治らなかったので、帰国後5日目くらいに病院で検査を受けました。 そうしたら白血球の数が異常に増えているとのことで、「なんで検疫で申し出なかったの!」とさんざんお医者さんに怒られた後、抗生物質入りの点滴を打たれてしまいました。 症状から判断して、まあ赤痢でしょうね。 おかげで、しばらくは行く先々でバイキン扱いされてしまいました(泣)。 20代最後の夏の、甘酸っぱい思い出。 |