ハガクレツリフネソウは、ハガクレツリフネソウ(以下、ハガクレ)とエンシュウツリフネソウ(以下、エンシュウ)の2つの変種から構成される。両変種は、花の形態のみに明確な分化が認められ、側所的に分布するなど、花の形質進化の解析に適している。私は、野外集団及び実験集団でこの2変種を比較することで、どのような選択圧の差が、その分化に関与したのかについて研究を続けてきた。
花は生殖器官であるので、ハガクレ・エンシュウ間の花形態の分化は、それぞれの繁殖戦略の違いを反映したものであると期待される。そこで、まず繁殖資源分配における戦略の分化を検討するため、各変種の繁殖資源分配パターンを定量的に測定、比較した。結果に遺伝的な分化を極力反映させるために、この測定は環境分散の影響を平均化させた実験集団において行った。その結果、ハガクレはエンシュウに比べ、1)送粉昆虫の誘因に関わる形質(花弁・花蜜)への花当たりの資源配分量が多い、2)♂機能への花当たりの資源配分量が多い、3)♀機能への花当たりの資源配分量には差が無い、4)単位個体重量あたりの花数が少ない、事が分かった。また別の実験で、1)の誘因形質の差が、実際に送粉昆虫の訪問頻度に多大な影響を与えることが確認された。
一般に植物の繁殖資源分配パターンは、その交配様式に応じて変化することが知られている。そこで、今回観察された分配パターンの分化が、交配様式の分化を伴っているのかどうかについて検討した。各変種の自然集団におけるアロザイム解析の結果、ハガクレは他殖のみに繁殖を依存しているのに対し、エンシュウは他殖と自殖の双方に依存していることが明らかになった。このような他殖・自殖への依存の割合が、両性花の繁殖資源分配パターンに与える影響については、過去に理論的な検討がされている。それによると、1花への資源配分量と花数との間にトレードオフが存在する場合、今回観察されたような「花当たりの送粉者誘因と♂機能への投資量が、他殖性の集団で自殖性の集団より大きくなる」というパターンは、「花1つへの資源投資量に上限がある」と仮定した場合にのみ予測されている。私は過去のモデルに、より現実的と思われる仮定「個体当たりの花数が多くなると、隣花受粉の頻度がより高くなり、花当たりの他家受粉・送粉の効率が低下する」を組み込むことによっても、観察されたパターンが説明できることを明らかにした。
では、観察された自殖への依存度の違いは、どのような至近要因により生じているのだろうか?この問題に答えるため、交配様式に影響を与えうる諸因子(自家和合性・雌雄異熟の程度・自動自殖能とそのタイミング・花寿命の可塑的性質)を、変種間で比較した。その結果、いずれの変種とも、高い自家和合性を持ち、また雌雄異熟は観察されなかった。他方、他家受粉の程度に応じた可塑的な開花戦略において、明確な分化が認められた。すなわち他家受粉の程度が低い場合、いずれの変種とも花寿命を約1日伸長させたものの、その後、ハガクレでは雄蕊群を落下させ柱頭を露出させた状態を約2日間続けたのに対し、エンシュウでは遅延自家受粉を行い直ちに花を終えた。これらより、このような可塑的な開花戦略の分化が、他家受粉の機会に影響を与えることで、変種間の自殖への依存度に分化を生じさせていることが強く示唆された。
ハガクレの開花戦略とは、あるタイミングまで他家受精されなかった胚珠について、花冠の寿命を延長させることで他家受精されるのを待つというものである。他方、エンシュウの開花戦略とは、そのような胚珠を遅延自殖させるというものである。なお、ハガクレで見られた雄蕊群落下は、他殖による成功度を最大にする適応だと考えられる。なぜならば一般に、送粉者の訪問数に対して、♂成功度(花粉親としての適応度成分)はゆっくりと上昇・飽和し、♀成功度(種子親としての適応度成分)は急速に上昇・飽和する。そしてハガクレツリフネソウでは、柱頭が雄蕊群に覆われているため、送粉者が花粉を持ち去り柱頭を露出させるまでは、♂成分のみ上がり♀成分は上がらない。これらより、あるタイミングまで他家受粉が生じないほど送粉者の訪問程度が低い場合には、雄蕊群を落下させて柱頭を露出し、送粉者の訪問に対してすぐに♀成功度が上昇できるようにすることは、他殖による成功度を最も高くすると期待されるからである。
各変種の開花戦略は、互いに排他的である。なぜならば、遅延自殖の後では他家受粉をおこなう胚珠が残らず、雄蕊群を落下させた後では遅延自殖をおこなう自家花粉が残らないからである。そして、このような制約がある場合、遅延自殖は、他殖種子の代わりに自殖種子を作ることのコスト、すなわち近交弱勢の程度等に応じて進化することが予測される。本研究は、遅延自殖のコストに言及して、交配様式の進化を論じた初めて試みである。